<月刊養豚情報20132月号特集>

現場でできる高品質の豚肉創りをテーマに

高付加価値豚肉生産の現場ノウハウを伝授

養豚塾2012年第1回(通算133回)より

 

2012127日、8日の2日にわたり都内で「養豚塾2012年第一回(通算133回)講座」が開かれ、全国各地の養豚経営者や現場担当者ら約30名が参加した。

 講座では、潟Vムコの木全誠氏が豚の育種や飼養管理から見た肉質改善、牛]原養豚の江原正治さん、美津子さん夫妻からは長年続けてきた抗生物質や合成抗菌剤を一切使用しない「無薬養豚」の現状、日清丸紅飼料鰍フ矢原芳博氏からは「無薬養豚」の経験に基づく様々な考察、養豚塾塾頭の山下哲生氏からは放牧養豚の管理技術などについて講演が行われた。本稿では、その一部の講演を紹介する。(編集部)


2012年第一回養豚塾には全国各地の養豚経営者や現場担当者ら約30名が参加した

 

 

豚の飼養管理から見た肉質改善

潟Vムコ育種技術部 木全誠

肉質追求の意義

肉質追求の意義としては、生産効率改善・コスト減で本当に海外に勝てるか?そして、単なる差別化・銘柄化だけで売れるのか?プラスαの利益を得られるか?ということがあると思う。平成12年3月には銘柄数が179だったものが、平成24年6月の時点で銘柄数は380となっており、10年前に私は銘柄豚淘汰の時代がくるというように予測したが、逆にどんどんと銘柄豚は増えてくる状況にある。この中で、本当に消費者の信頼を裏切らない銘柄豚はどのくらいあるのかということを考えていく必要がある。

日本の食文化はテーブルミート主体であり、海外で豚肉の美味しさを議論することは、あまり意味がない。皆さんの中にも、海外の方と肉質の議論をされたことのある方がいらっしゃるとは思いますが、本質的に考え方が違う。個人的には意味がないと思っている。ただ、世界でも鋭敏な味覚を有する日本人を満足させる品質というのは間違いなく、世界でも通用すると思っている。

種豚業界の情勢から見ても、国内養豚の方向性は二極化の方向となっている。一つには生産性、効率、コストといった、これらを極限まで重視する経営。それと、やはり肉質も大事だということで従来どおりに肉質・美味しさを考えていきたいというような経営に分かれてきている。こういうことを考えると、肉質を追求するというのは輸入物に対抗する最後の手段であると思っている。

一方で、現場で生産を行っている人たちが、すべて自農場の肉質を把握しているか、ということであるが。例えば、自農場産の豚肉を食べたことがあるか? 自農場の豚肉がどこで売られているか知っているか? 自農場の枝肉を見たことがあるか? あるいは、食肉センターや流通業者の評価を知っているか? そのうえで自農場の肉質に関する弱点を把握しているか? これらの弱点を改善すべく対策をとったことがあるか?を考えた時に、本来ならば銘柄を謳って経営をしている人ならば、これらすべてをクリアしている必要があると思うが、実際にはなかなか難しいところもあり、すべてを網羅している生産者は意外と少ないと思う。しかし、ここに挙げたような「知る・見る・聞く・食べる」といった四つの項目によって、自農場の豚肉を知ることは大切である(1)

▲ 図1 自農場の豚肉品質を知るための4つの項目「知る・見る・聞く・食べる」

肉質の定義として、ここに三つの形式を上げると、@産肉形質としては日増体量、背脂肪厚、ロース芯面積、赤肉量、正肉歩留まりなどA枝肉形質としては枝肉重量、枝肉歩留まり、日格協規格、格落理由、格落金額などB肉質形質としては肉色、しまり、きめ、筋肉内脂肪、保水性、物理性、食味性などといった点がある。

肉質に影響を及ぼす要因

肉質に影響を及ぼす要因としては遺伝、育種、エサ、飼養管理も影響する。その肉質を構成する要因を一つひとつにわけていくと、肉質に強く影響するものがあるので、項目ごとにどのタイミングでアプローチすればいいか、きちんと整理をしたほうがいいと思う。

実際に肉質を構成する項目と影響する要因としては、肉色、脂肪の色、それから肉締まり、脂肪のキメ、筋肉内脂肪(サシ)、筋間脂肪、それから食べた時の食味性とかがあるでしょう。そういった項目を例として挙げます。

まず、肉色については遺伝の影響、品種、系統の影響もかなりあるというように思われる。飼養管理面では130140日で出るような非常に増体の早いものというのは、どうしても色が淡く、白くなるということがあるが、増体が早すぎるというのも問題がある。しかし、逆に遅すぎるのも問題がある。逆にいえば200日ぐらいで出しても、そんなに変わらないが、もっと豚がヒネて出荷が遅くなると、肉色が濃くなるケースがある。

脂肪の色については、いまはそんなに問題ではないが、昔は質の悪い魚粉とか利用すると、黄豚というものが増えて敬遠された傾向があった。最近は、あまり脂肪の色が悪いという枝は見ることが少なくなってきたのではないかなと思う。

肉締まりとは赤肉部分の肉締まりであるが、ハンプシャーとか、ピエトレンといった肉量の非常に多いものは肉締まりが悪くなることがある。また、飼養環境が悪い場合に肉締まりが悪化するというのが認められる。

脂肪の締まりについては、バークシャーとか大ヨークシャーといった、堅い脂を作る品種というのもあるし、デュロックなどは弛めの脂に仕上がる傾向があると思う。もっとも豚が影響を受けるのは間違いなくエサであり、エサの中身によって脂肪の締まりは大きく変わる。飼育管理のミスなどで豚にストレスがかかったりすると、脂肪の締まりは悪くなる傾向にあると思う。

キメは、肉締まりと関係はあるが、バークシャーあるいは中ヨークシャーというのは筋繊維が細い品種であるといわれている。飼養環境から受ける影響としても、劣悪な環境というものはキメも悪くなる傾向にある。

筋肉内脂肪、サシについては遺伝の関係が大きく影響し、デュロックなんかはサシの入りやすい品種といわれている。エサの面でもサシは入ることができるが、飼育日数の増加といったこともあり、バランスが大事かなと思う。

筋肉間脂肪量は脂肪の蓄積しやすい品種、系統で多い。筋肉間脂肪量は、成型時に除去できないため、お肉屋さんなんかは嫌がる傾向にある。

食べた時の美味しさは、遺伝や飼養管理といったものの影響を受けるので、最終的に美味しいものを作ろうと考えた場合、その過程では非常にアプローチが複雑で難しくなっており、よく肉質の調査をして肉質改善について考えた方がいいと思う。

肉質改善に特効薬はない。耳刻・ロット管理で「追跡できる」体制作りや体測の実施や豚肉生産者としての意識、健康な豚の生産といった基本的な飼養管理、肉質レベルの把握、そして飼養環境の整備や種豚の吟味、飼料の吟味といった具体的な改善策の実施によって、真の肉質改善につながるのではないかと思う。

 

 

抗生物質、合成抗菌剤一切与えない「無薬養豚」への取り組み

群馬県高崎市/牛]原養豚

▲「無薬養豚」を精力的に続ける江原養豚の江原正治氏

 

 JR高崎駅から車で約20分、高崎市上滝町にある母豚150頭規模の牛]原養豚(江原正治社長)。抗生物質、合成抗菌剤を一切与えない養豚を確立し、「えばらハーブ豚 未来」を生産している。月刊養豚情報20068月号でその様子を紹介させていただいたが、昨年127日、8日の2日にわたり都内で開催された「養豚塾2012年第一回(通算133回)講座」の講師として江原正治さん、美津子さんご夫妻が招かれ講演。苦難を乗り越え、自ら販路も開拓しながら今なお精力的に無薬養豚(抗生物質、合成抗菌剤を一切与えないという意味)を続けている様子など、その概要を以下に紹介させていただく。(編集部)


農家養豚生き残りの究極の選択

 養豚経営は現在の江原養豚社長である江原正治さん(58)の父、平治さんが始めたもので、昭和354月には群馬県種豚共進会で農林大臣賞を受賞。50年には母豚50頭規模で牛]原養豚を設立し、52年に正治さんが就農、翌5311月には、昭和18年より単式簿記の記帳を35年間にわたって行い、経営の記録分析が評価され、第27回全国農業コンクールで「農林大臣賞名誉賞」を受賞した。昭和5311月には第17回農林水産祭で「天皇杯」も獲得した。

さらに57年には、正治さんが、欧州研修後農場の改革に踏み切り、いち早く堆肥処理、浄化施設等を新設し都市近郊畜産の課題克服に傾注。平成9年3月には、 都市近郊畜産の環境改善に対する取り組みが評価され、第26回日本農業賞で「農林大臣賞」を受賞。9年11 月には第36回農林水産祭において「内閣総理大臣賞」を受賞、10 年2月には第5回群馬県肉豚枝肉共進会において「農林大臣賞」を受賞した。さらに13年4月には、平治さんが、農業関係諸団体の要職を歴任、長年にわたる農畜産業振興の功績により、「勲五等瑞宝章」(叙勲)受賞した。その間35年間にわたり国内外から多数の研修生も受け入れてきた。

 まさしく「篤農家」として数々の功績を残してきた江原養豚がさらに、「安全・安心な豚肉の生産」への取り組みとして国内初の「抗生物質・合成抗菌剤を一切使用しない養豚」に乗り出したのが平成12年。

現在も社長の正治さんと奥さんの美津子さん、息子さんのお嫁さんらで切り盛りしながら、豚丹毒とオーエスキー病(AD)ワクチンを接種する以外、抗生物質、合成抗菌剤、駆虫薬を含まず、数種のハーブや有機酸、乳酸菌、ビタミン類を配合した日清丸紅飼料鰍フ専用飼料「ASFシリーズ」を餌付け段階からすべてのステージで給与し、治療用抗生剤注射なども一切行わない養豚を続けている。 使用するのは、畜舎・器具の消毒の際の逆性石鹸、去勢時の消毒のためのヨード剤と鉄剤のみ。

今回の養豚塾の講演ではまず江原正治さんは、「自分自身の養豚歴は36年ぐらいになりますが、まったく素人で就農し、最初の10年間は勉強せねばと学会や海外視察なども積極的に参加しました。その次の10年は環境問題で、20数年前に浄化施設なども整備しました。高速道路に近く、立地条件などを考える環境は大きな課題でした。そしてさらに、1990年代後半の豚価の低迷。380円程度ではやっていけない。しかもWTO農業交渉、FTA交渉などを目の当たりにして今後、国産豚肉が生き残っていくにはどうしたら良いか悩み続け最後にたどり着いたのが『抗生物質・合成抗菌剤を一切使用しない』無薬養豚でした」と改めて「無薬養豚」への経緯を説明した。

 

20012月から完全無薬に 

そもそも正治さんが「無薬養豚」を始めたのは、当時の日清飼料褐沚クセンター(現 日清丸紅飼料椛麹研究所検査グループ)の矢原芳博氏らからの提案がきっかけで、正治さんと矢原氏は古くからの付き合いがあり、豚の定期健康診断システムである「システムパック」が開発される前から継続的に内臓などを定期的に検査してきた。そしてシステムパックのデータの中で最も清浄度が高かった江原養豚に対して矢原氏らは「無薬養豚」の実現可能性を見出したのである。

 そして使用する専用飼料は、日清丸紅飼料が96年からスタートしていた「医食同源」の考え方を配合飼料にいかし家畜や魚を健康に育て、安全で良質な畜水物を提供するという「ハーブ村事業」によりにより展開していた天然ハーブを添加したハーブ飼料「ASFシリーズ」を採用することにした。

2000年の開始当初にはまず、通常の飼料を与える豚群とは別に100頭の試験飼育として鉄剤のみを使用し、人工乳から肉豚、出荷まで半年間は専用飼料を給与。そして翌20011月から出荷し、と畜場で肉と内臓の状態が非常に良好で、死亡してしまった豚は5頭、途中で病気になり治療した豚が10頭、残りの85頭が抗生物質・合成抗菌剤を一切使用しない豚肉「えばらハーブ豚 未来」として出荷され、うち上物の格付けは約半数に上った。 

そして、2006年からEUにおいて発育増進目的の抗生物質であるAGP(抗菌性発育促進物質)の使用が禁止になるという動きもあり、それよりも先んじて着手し、しかも本邦初演の「無薬養豚」を進めようと、@全ステージで抗生物質・合成抗菌剤・駆虫剤を全く含まない飼料で飼育A豚舎、器具は逆性石鹸による消毒B子豚への飼料添加物・治療用抗生剤注射などは一切使用しないC最小限のワクチン(現在は豚丹毒とADのワクチンを接種)――を「えばらハーブ豚 未来」の定義とし、200121日から完全無薬に転換した。

 

治療を要した「保護豚」は5%以下に

 

種豚にはシムコのSPF豚を用い、オールイン・オールアウトを実施し、衛生管理を徹底していても調子の悪い豚や事故は発生する。そのため、治療した豚は治療したことが明確にわかるように「保護豚」として管理台帳に記入、「保護豚飼育室」で隔離し、子豚舎、肉豚舎に移動した後も「保護豚エリア」で飼育され出荷される。25日以上の哺育期間を設け、哺育中に死亡する豚は別として、毛並みや瞳の輝き、動きの悪い子豚などは離乳の段階で治療を行うが、耳刻をすることで「えばらハーブ豚 未来」用の豚との混在を完全に防いでいる。

 「浮腫病にも悩まされましたが、2011年の保護豚の割合は5%以下になっていて、95%以上は『無薬豚』になりました。これは細菌叢の安定によるものだと思っています。薬を使わない期間が長くなればなるほど、農場の細菌叢が安定してくるのだと判断しています」と正治さんは説明する。

「えばらハーブ豚 未来」は20064月には「生産情報公表JAS」の認定も取得しているが、「保護豚」という形で間違いなく区別できていたことから、その認定も比較的容易に取得できたという。しかも、生産管理シートと移動カードの2種類があり、トレーサビリティシステムと連動させ生産履歴の記録と管理を徹底している。

 生産管理シートは、1部屋80頭(1グループ20頭×4小屋)のグループ全体の健康状態を把握するもので、母豚番号、分娩日、離乳日、飼料名など20の記入項目がある。また、移動カードは1部屋4枚あり、20頭の小グループがそれぞれ子豚舎から肉豚舎に行く際に管理するもので、10の記入項目がある。

 「無薬養豚」を始めた当時、「うちがこの飼育を始めたときはBSE発生の影響で一般豚でさえ値段が高かったのです。治療を我慢した豚は肉付き不良などで問題があり、売ると安く買いたたかれ、税理士の先生には再三検討した方がいいともいわれました」と正治さんは振り返る。

 「無薬養豚」を始めて3年たった頃、成績が低迷し、経営継続を断念しようと考えたという正治さん。「無薬養豚」を始める前の1999年の農場要求率は3.14、それが「無薬養豚」を始めてから3年目の2003年には3.74に。最初は豚の事故率が目に付いたが、後になって飼料要求率の極端な低下というボディーブローが効いてきた。「改めて抗生物質の威力を実感しました」と正治さん。飼料要求率の悪化とともに、肉豚の仕上がりにおいても、薄脂や格落ちが多くなったという。

それでも奮起したのは、「年間2万人や3万人もの人たちが抗生物質が効かず亡くなるといった医療現場での実情を聞き、真剣に考えるようになりました。しかも、苦しいながらも3年取り組むと今度はやめるのはもったいなくなるもので、薬を使うと即座に生産性は戻りますが、矢原先生らスタッフと一緒に積み上げてきたうちなりのノウハウやプライドは捨てられませんでしたし、今まで積み上げてきた技術でマイナスを回収したいと思いました。そして何よりも国産の江原の豚の存在を確立したい気持ちが強かったのです」と正治さんはいう。

 

効率追求からの脱皮、「無薬養豚」の支持者拡大

 

苦労が実り、4年目からは一腹当たりの離乳頭数も10頭以上、年間3000頭の肉豚が出荷できるようになった。今なお飼料要求率は高くはない。2011年実績で平均出荷日齢が204.5日、飼料要求率が3.8。AGPの必要性も十分理解できるという正治さんだが、「若いときは数字追求、効率優先の生産を狙っていましたが、自分の子供、孫に食べさせたい豚肉はどういうものかを追求するようになりました。もちろん経営が成り立たないといけませんが、必ずしもそれが第一義でないと年齢とともに養豚観、職業観が変わりました。それとともに、出会う人も変わりました」と正治さんはいう。

2011年の出荷実績は3027頭で、現在も江原養豚の豚肉は群馬県前橋市に本社を置く群馬ミート鰍ナ処理・加工、販売され、年間1本価格で取引されており、大貫や保護豚を含めた年間の平均枝肉取引価格は547円、無薬豚「えばらハーブ豚 未来」の平均は557円とのこと。

「大手ハムメーカーなどは無薬の評価はしてくれません。通常の豚をたくさん扱っているからです。そういう中で地元の新聞社が取り上げてくれ、地元の食流通企業の社長さんから江原養豚の豚肉を扱いたいという声をいただき、その出会いで一気に吹っ切れました」と群馬ミートとの出会いが「無薬養豚」継続に大きな支えになったことを正治さんは振り返る。

 豚肉の販売責任者も務めてきた美津子さんの弛まぬ努力が実り、「えばらハーブ豚 未来」は現在、通販宅配サービス会社での取扱いや、ホテルオークラ東京の高級中華レストラン「桃花林」などハイグレードなレストランなどで愛用されているほか、ネット販売だけでも2500万円ほどを売り上げているという。

 

 

「無薬養豚」の指導にあたって

日清丸紅飼料椛麹研究所検査グループグループリーダー

矢原芳博氏

 江原養豚さんに無薬養豚を勧めたのだが、勧めてから3年ほど経って大変なことをやらせてしまったと思い、一時はやめるという話も出た。

「無薬養豚」は江原養豚さんのほかにもいくつかの農場で試験を行ったが、結果は惨憺たるもの。子豚の疾病をコントロールできず、戻ってしまった農場も結構あった。特に離乳後の下痢やPRRSによる影響が大きく、改めて抗菌性飼料添加物の効果を知った。特に「無薬養豚」をやろうとして立ちはだかったのは、離乳後の増殖性腸炎で、それがPRRSも引っ張ってきてしまう。

欧州ではAGPをまったく使わなくなったが、そもそも成長促進目的で抗菌性物質を飼料に添加することは、それなりの効果が認められているからであり、子豚の人工乳に抗菌性飼料添加物を抜いたものを与えてみて改めてわかった。

 その意味で、ある程度の衛生管理レベルにある農場、または現時点で疾病の浸潤度の低い農場でないと「無薬養豚」はできないことが再確認され、江原養豚さんで「無薬養豚」を始める際も、まずPRRSやADフリーで、離乳後事故率が3〜5%を維持できているところ。そして我々の取り組みのリスクを理解してチャレンジしてくれる農場ということで探し、当時からシステムパックを使い続けてくれていた江原養豚さんは、非常に成績が良く、しかも養豚場の規模拡大ができない立地条件で、コストダウンと同時に何か付加価値化できないかと模索していたところで我々のニーズと一致した。

かつて治療を施した「保護豚」の発生率は離乳豚100頭のうち2030頭だったが、PCV2ワクチンの接種で現時点では保護豚の発生率は5%程度になっている。サーコワクチンが出たことは無薬養豚に大きな助けとなった。

実際に調査したわけではないが、何か起こった時も回復が早く、10年ほどかかって農場内の菌叢が安定してきたような気がするとも江原さんは感じている。

 ただ、無薬豚を販売するには、販売先に付加価値を認めさせることが先決。量販店との取引だと欠品が許されず、ある程度の量が必要になる。江原さんの場合は、無薬豚をよく理解してくれた群馬ミートさんと取引が奏功したといえる。

 

 

放牧養豚の歴史的背景と新たなチャレンジ

養豚塾塾頭 山下哲生氏


新たに佐渡島での放牧養豚にチャレンジする養豚塾塾頭で放牧養豚研究会理事長の山下哲生氏

 

もともとヨーロッパでは、繋殖は各農家で行い、これらの豚を秋になるとドングリの実がなる共有地に放しその実で太らせてから、と畜するという形態が以前から存在した。離乳は、5060日程度で行われ、自然と乳離れしていった。繁殖は小屋飼いが主であった。

しかし第二次大戦後、都市人口が増え、飼料穀物が大規模に作られ始めると、購入、自給飼料による養豚大規模経営がヨーロッパでも急速に普及した。

これにはアメリカの農業政策が多大の影響を与えた。しかしヨーロッパでは、アメリカよりも環境規制が厳しく、養豚農家の耕地保有に応じて飼養頭数を規制する動きが強かったため、比較的農村の内部での多頭化はゆっくりと進んできた。

このように放牧養豚は、歴史としては個々の農家で自然に近い条件下で飼うものとして長い歴史があったが、システム化され新技術として普及し始めたのは1980年代に入ったイギリスからである。イギリスで、生み出された放牧養豚は、「繁殖を野外で行うこと」にその核心があったのである。イギリスにおける放牧養豚を普及させた要素としては以下の通りである。

<イギリスにおける放牧養豚を普及させた要素>

@放牧用の豚=育種をすすめた。ブリティシュサドルパックとランドレース

A人工授精が普及し使えるようになった

B電牧柵が、太陽光発電をもとにしたバッテリザで動くようになった

Cストックマンシップ=若い人たちが小資本でもできる放牧養豚に参入した

D動物を身近に感じこれをフレンドリーなものとして取り込むアニマルウエルフェアーの考え方が、広く支持され、アニマルウエルフェアー=放牧養豚というイメージ作りに成功した。

E放牧したことのある豚の肉なら高くても購入するという消費者の存在

「グリーン」「グレート・アウトドアー」「ハッピーピッグ」

F農地は、売買するものではなく貸し借りするものという伝統=放牧養豚に貸す

G三圃式(サンポ式)農業の羊、牛のところに、スムーズに豚が入れた。

H豚の行動学の発達とそれを応用した器具機材の閉発=タヲタ・妊娠診断ゼスケヅト

I公害問題から自由の放牧

J豚が健康になり相対的に強くなる=予豚でもプレミアが付く

K衛生費が、舎飼いよりも安くなる

 

現在でも2025%の子豚が野外生産されており、また肥育もスーパーマーケットとの契約により一部野外放牧で行われるようになってきた。しかし現在、イギリスの養豚産業は、最盛期(80年代末〜90年代中期まで)の半分以下の母豚数(30万頭程度)となっている。また、フランス、アメリカ、スペインなどで一時広まった放牧養豚熱も今は一服という観がある。その理由は以下の通りである。


<放牧養豚の普及を妨げた要因>

@土壌条件特に砂土で、水はけが良く水たまりがあまりできず、緩い傾斜で、かつ豚の蹄を痛めるような小右が少ない土地が望ましいが、このような条件に合うような士地が少ない。

A労働の厳しさ。特に個体管理することが非常に難しい。豚は、どこまでも逃げる。出荷移勤は体力勝負。

B生産性は、舎飼いと比べるとやや落ちる。

C繁殖障害を起こし空胎となった雌、雄の無精子症なとは発見が難しい。

D餌は、地面にまかれることが多いので無駄が出やすい

Eキツネやカラスなどが子豚を捕獲していく

Fネズミが大発生しやすく、防疫が難しい

G冬季や雨季の飼養管理が夏場に比べ大変難しい。

 

<日本における放牧養豚>

日本においては、養豚の技術として放牧が意識されることはなかった。しかし、各農家で豚を数頭ずつでも飼うことが一般化していた時代においては、「庭先養豚」という形態で、放牧に近い形で豚が飼われていた。この段階では、極めて人と豚との距離は接近していたといえる。

放牧が生産として意識されるようになったのは、長野県大北農協での「野豚」、山梨県韮崎市での「ぶーふーうー農場」、朝霧放牧豚など各地での放牧を売りにした飼養形態である。これらは、総じて肉豚段階での付加価値付けとしての放牧である。

日本での繁殖豚による放牧は、1997年徳島で、離乳子豚の野外放牧は2002年ごろから、千葉、鹿児島、富崎などで盛んになり、これを主導したのは、NPO日本放牧養豚研究会(山下哲生理事長)である。


<佐渡における放牧養豚のチャレンジ>

 先述の日本放牧養豚研究会では、現在、佐渡島(佐渡市)に支部を開設し、同島での放牧養豚の指導を行う事業を始めている。

 佐渡島は、日本で沖縄本島につぐ2番目に大きい島で、面積855.26平方キロメートル(東京の半分)で周囲262km、人口63,328人(2009101日現在、江戸時代には10万)。

 気候は対馬海流(暖流)の影響で冬暖かく夏涼しい。北部には大山脈(標高1000m)がり積雪が多いが、南部は低地海岸段丘にて温暖。

このような佐渡の地で「放牧養豚」を行うわけだが、具体的にはまず、南部の小木港近くの琴浦地区(標高60m程度)の土地を造成し繁殖基地とし、肥育豚は琴浦と島の中央部砂地で放牧を行う。

豚はすべて黒豚(ブリティッシュ・バークシャー(BB))で、その放牧により加価値を高める。さらにサツマイモがたくさん収穫できるので、サツマイモとその蔓(つる)仕上げ用の餌の2割程度を賄うことでさらに付加価値を高める。

新潟県内のと畜場でと畜し、肉、内臓、脂のすべて佐渡に持ち帰り「佐渡地豚」(サドジブタ)として地域限定ブランドに仕上げる。BBの供給拠点として凍結精液も使い、維持、増殖を行う。

佐渡唯一の養豚場として、PRRSが陰性で、その他の疾病も少なく、アニマルウエルブェアーを打ち出し、最低限の衛生規則(手袋、靴カバーの装着など)を守ってもらうことを条件に、触れ合いができる放牧養豚体験施設も計画。さらに繁殖においては、合宿で養豚研修コースを作り、年に数回研修会を実施し、業界の人材育成に資する。

 

養豚塾 参加者の声

経営を安定させ良いものを供給していくことに集中

母豚450頭規模 Aさん

自分自身、家業の養豚経営に携わって数年だが、繁殖を担当し100%AI(人工授精)を行っている中での目下の課題は、80%程度の分娩率を90%まで向上させ、平均で85%はキープすること。現在、農場の病気に悩まされている状況でもなく、まさに技術的な問題、課題だと認識している。

今もブランド豚肉は多く見かけるが、生産の背景をいかに消費者に伝えるかが重要だと思っている。当社の場合は、飼料は指定配合で仕上げにオリジナル飼料を与えているが、母豚も精液も購入しており、特に差別化を目指そうとはしていない。逆に差別化を実現するには、ある程度のコストとリスクもある。豚価が高く経営が安定している状況ならば、チャレンジもできるが、そういう状況ではないこともあり、まずは経営をいかに安定させるかということに集中したい。現在、肉豚の出荷先は地元が8割程度で、一部は年間450円の1本価格での取引を行っており、豚価が安くなったときなどは非常に助けられている。

20年近く前に、レストランと直売所を経営したことがあるが、失敗し大きな赤字を抱えてしまった。とにかく、良いものを安定的に生産・供給していくことが第一義。健康に育った豚は見た目や味、肉質のいずれも輸入物とはまったく違う。素材の味を大事にする日本人の舌に合った豚肉は国産豚肉だと確信している。

養豚塾 参加者の声

妥協せず、ハイグレードに進むのが国産の生きる道

母豚500頭規模 Bさん

 今の安全・安心という表現は非常に陳腐化してしまった感がある。本当の意味での安全・安心の確立はそうたやすくはない。

 当社の養豚歴は40年。豚舎も老朽化しており、衛生管理などの面で不安を抱えていたが、当社の社長がその中で突き当たったのが、「豚の生命力」だったそうである。そして不要な薬剤の使用は避け、純粋に養豚を見つめてきた。そうした当社の社長の思いを生産現場でいかに具現化するかを今も考え続け、15年前に立ち上げた当社のブランドもようやく実ってきたという感じである。

 独自の配合設計で自家配を行いながら生産を続けている当社のブランド豚肉の年間の出荷頭数は約1万頭。そのうち7割程度はネット販売や比較的グレードの高いレストランや加工業者など業務筋に自社で販売している。必ずしも安定的に出荷できるものではないが、お陰様で売行きは今も順調で、新規のオファーは途切れない。

 当社もともと加工・流通部門の有し、加工品ではアイスバインの真空包装なども作れ、一通りの加工技術はあり、さらにハンバーグレストランも経営しているため、例えば売れ行きに鈍いウデなどはハンバーグの材料として利用している。もちろん生産者としては、ロースばかり売れる現実には複雑な思いであり、一頭丸ごとをいかに消費していくかを考えなければならないと思う。

もちろん養豚経営も当然経済活動であり、いかに利益を上げていくかが重要で、飼料価格や疾病など様々な外的要因に対応していかなければならないが、決してぶれない何かを持てるかどうかがとても大事だと感じている。妥協せず、グレードの高い分野に進んでいくことは国産豚肉の生きる道ではないかと思う。

 

養豚塾 参加者の声

常に最新情報に更新をしながら、良い豚造りに役立てる

富士農場サービス 桑原康

消費者に喜ばれる豚肉を創るためにも、自分のイメージにあった良い豚を造らなければなりません。そこで良い種豚、肉豚生産のためにも精液を外部導入にし種豚更新する場合もあるでしょう。精液を購入する場合、種豚の衛生検査を実施しているAIセンターは信頼性があるでしょう。AIセンターの立場として精液の管理(保存)については、精液発送時にうちの希釈液は何を使っていて、何℃から何℃の保存帯まではOKですよといった情報提供ができればよいと思っています。しかし実際には、AIセンターもそこまで温度帯のチェックはしていないのが実情でしょう。それと、生産者が保存してある精液の活力をチェックの際の『精液チェックリスト』のようなものがあれば、お客さんには確認する意味でも、いろいろな人にチェックしてもらえるのではないでしょうか。

精液の活力があるのと受精するのではまた違います。見た目の活力が良くても、実際に注入すると授精力が低いというものもあります。

昔のAIに関するマニュアルの情報は、しっかりとした裏付けでマニュアルが書かれているわけではなく、合っているようで合っていないことが多いです。古い情報のまま、鵜呑みにしないほうがよいでしょう。

例えば、豚の人工授精では精液採取の際、温かい生理食塩水で豚のペニスの殺菌を行うというのもあります。しかし、それでは生理食塩水が冷たいままではだめかといえば、実際は別に冷たいままでもいいのです。豚のペニスが縮むこともありません。さらに、雄豚が夏のダメ―ジからストレスを受けると精子が悪くなってくるのは30日とか、45日後という話が、しかし実際にはストレスを受けて今日ダメだったのなら、明日には精子は死んでしまっているでしょう。冬場は意外と42℃の高温が1週間続いても精子はダメージを受けないのです。ところが、夏は42℃どころか、半日エサを食べなかったというだけでダメになったり、個体によっては感受性が高くて、ワクチンを打つと精液性状が悪くなるというのもいます。

どんなに良い商品でも、原料をチェックしないで市場に出して問題があったら終わりです。日本人が求める育種は、豚肉の美しさ、おいしさ、のどごしを表現するもので、海外のように経済効率のみ、という文化ではありません。日本の旨いは世界の旨いとなり、旨さは国境を越えるものだと思います。

<月刊養豚情報20132月号特集より>

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